タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

交通 | タギゾウくんの養老ノート | Page 3
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交通

大巻高柳の交通

山田貞策の孫であるA氏は養老町大巻高柳から渡船で川を渡って津島へ嫁いでいった。 大巻高柳で医院を開業していた昭和の始め頃、A氏は高柳と塩田(八開村)の往来は、渡船に自転車を積んで木曽川と長良川を渡って行った。または中堤(県道106号)から治水神社の脇を通り、 [...]

三ツ屋の生活

養老町下笠の三ツ屋は街道沿いにある。京都の東本願寺の一如上人が名古屋別院を建てられるために名古屋に向かわれた際、三ツ屋を通りかかる頃に御病気にかかられたため村で介抱申し上げた。その時お世話をしたのが浄誓寺(下笠763)の門徒19戸の村人である。後に浄誓寺を通じ [...]

美濃の中道

美濃の中道はいつ頃からあったのかは不明であるが、室町末期には消失したと思われる古道である。美濃の中道がいつ頃山家道(やまがみち)と名称が変わったのかも不明であるが山田用水の牧田川取り入れ口のすぐ下流側の道を九里半街道山家道とよんでいた。 沢田から乙坂に渡って [...]

服部承風

服部承風(はっとり しょうふう)氏は、漢学の第一人者・服部担風(はっとり たんぷう)氏の孫で、本名を服部靖という。全日本漢詩連盟副会長、朝日カルチャーセンター講師を務められた。 承風氏は中学生の頃に、日曜日に冨長蝶如(ちょうにょ)氏の講義を聞きに来ていた。漢 [...]

飯田所有の車山(やま)

昔、飯田は車山を所有していた。いつの時代にその車山がなくなったかは不明である。 車山が通るため、村の中には九尺道路(幅約2.7m)があった。普通は六尺道路(幅約1.8m)である。九尺道路も、車山が通る所までで、途中から六尺になっていた。八幡神社の元宮の場所も [...]