タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

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その他

高田の豪商 中野屋(中長商店)の沿革

天明年間(1781~1789)に屋号「中野屋」通称「中長」を創業したと思われ、それ以前から一家は高田に居住していたと思う。中長の名称の由緒は分からないが、屋号「中野屋」の中、若しくは一家の名字である田中の中と長次の長を取って「中長」としたと思われる。中長の当主 [...]

安福彦七氏

安福彦七氏は明治43年(1910)7月13日に生まれ、30歳頃に室原へ養子にみえた。平成16年(2004)没。小中学校の校長を歴任され、昭和40年代半ばに60歳で退職後、昭和47年(1972)には日吉公民館初代館長に就任され、養老町文化財保護協会会長も務められ [...]

北尾春圃の家系と墓地

北尾家の祖、信広は天文22年(1553)年に没し、以後6代目の玄圃(能医)を父とする7代目が初代春圃であり大いに活躍した名医であった。万治2年(1656)に生まれ、寛保元年(1741)に83歳で没した。子供は5人、男子ばかりで、春竹、春倫、道仙、春達、春泰で、 [...]

北尾春圃と室原

名医、北尾春圃(きたおしゅんぽ)は万治2年(1659)に不破郡室原村の医家に生まれた。彼は青年の頃に発奮して医学を学び、大変成績も良く、大成して診察を請う者が次第に増え、春圃の名声は大いに上がった。大垣藩、戸田候は医家春圃に20人の扶持を与えて大垣船町、全昌寺 [...]

室原の安福彦七家の由緒

室原村の村政は江戸時代初期は史料に乏しいのではっきりしないが、文化3年(1806)以後の古文書には、室原村を北組と南組とに分けて庄屋と三役を両方に置き、村政を行っていた。ただ大垣役所に出す書類等は統べて一本として出していた。 安政4年(1857)の資料に [...]