タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

広幡 | タギゾウくんの養老ノート | Page 2
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広幡

戦時中の小学校生活(口ヶ島)

口ヶ島に住むA氏によれば、戦時中の小学校の教育は、中学校へ進学する子が優先であったので、差別のようなものを感じていた。 厳しい教育で、雪が降った時に広幡(ひろはた)尋常高等小学校から養老公園の、かつて競馬場があった場所(字八千代あたり)まで裸足で走らされたこ [...]

口ヶ島の昔の子ども

昔の口ヶ島(くちがしま)の子どもの遊び場は、お宮さん(八幡神社)、金草川(かなくさがわ)のファブリダムがある場所、金草川改修前まで存在していた池などである。他の地域の子どもと関わることはあまりなく、岩道(いわみち)、笠郷(かさごう)、上之郷(かみのごう)の子ど [...]

ファブリダム

口ヶ島(くちがしま)地内を流れる金草川(かなくさがわ)にはファブリダムという堰が設けられている。このダムは発動機でゴムを膨らませて水をせきとめたり、萎ませて水を流す仕組みで、岐阜県が採用した。 金草川の上流には押越、下高田といった地区があり、用水が必要な時期 [...]

口ヶ島の井戸

昔の井戸は鉄管ではなく竹管であった。口ヶ島の住人、A氏の家では、昭和20年代後半頃に井戸を掘った。樋門等で有名な日比鉄工(ひびてっこう)が開業間もない頃に井戸の中に鉄管を入れてくれた。その当時、A氏宅は古い2階建てであったが、棟の上まで水が噴き出した。作業して [...]

口ヶ島の燈明さんの移転

広幡地区の燈明は、2012年現在、口ヶ島の字寺田地内、口ヶ島の元庄屋・田中耕馬氏の新屋前にある。明治初期に今の位置に燈明が移転されたそうである。田中耕馬氏が移転させたという話があるが、実際は耕馬氏のご祖母が行ったそうである。 燈明は、現在地域の人からは「大神 [...]